Latest Entries
芦ノ尻道祖神
長野県の聖高原のさらに奥地、今は長野市に編入されているが元更級郡大岡村の村はずれ。山道に芦ノ尻道祖神がある。

長野市大岡地区(旧大岡村)の芦ノ尻道祖神は、松の内が終わる1月7日、各戸注連下ろしとともに行なわれる祭りである。芦ノ尻集落の家々が、注連下ろしをしてそれを束ね、集落の南200mの道祖神場へそれを運び集めることから祭りは始まる。古くは1月15日であったが、昭和の初期に松の内が長すぎるとの理由で7日となったようである。そればかりでなく、もとは、15歳以上の未婚の男子によって行なわれる若衆仲間入りの祭事でもあった。近年過疎化の波は例外なく押し寄せ、祭りの原形は大分そこなわれてきたが、元気な男子はこぞって参加し、祭りの伝承に情熱を傾けている。 祭りは、「神面装飾祭」と呼ばれるように、各戸から集まった注連縄を選択し、それをもって、1.5mほどの文字碑の道祖神の石碑に怪異な神面を飾りつけ、来年の1月7日間での一年間、悪霊や疫病より集落を守る守護神とする祭りである。



長野市大岡地区(旧大岡村)の芦ノ尻道祖神は、松の内が終わる1月7日、各戸注連下ろしとともに行なわれる祭りである。芦ノ尻集落の家々が、注連下ろしをしてそれを束ね、集落の南200mの道祖神場へそれを運び集めることから祭りは始まる。古くは1月15日であったが、昭和の初期に松の内が長すぎるとの理由で7日となったようである。そればかりでなく、もとは、15歳以上の未婚の男子によって行なわれる若衆仲間入りの祭事でもあった。近年過疎化の波は例外なく押し寄せ、祭りの原形は大分そこなわれてきたが、元気な男子はこぞって参加し、祭りの伝承に情熱を傾けている。 祭りは、「神面装飾祭」と呼ばれるように、各戸から集まった注連縄を選択し、それをもって、1.5mほどの文字碑の道祖神の石碑に怪異な神面を飾りつけ、来年の1月7日間での一年間、悪霊や疫病より集落を守る守護神とする祭りである。


スポンサーサイト
縄文おやき
長野市から西へ20km、おやき村は県道長野大町線(31号線)の小川村夏和地積から南へ2km程入った集落、久木本郷の峰という峠にあります。

おやきは信州でも水田が少ない山間の畑作地帯のかつては日常食でした。耳たぶくらいにやわらかく練った小麦粉に味噌や醤油で味付けした季節の野菜をたっぷり包み込み、焼いたり蒸したりした信州北部特有の郷土食です。1つのおやきに生野菜がどんぶり山盛り一杯つまった健康食品です。おやきには蒸したおやき、灰の中で蒸し焼きにしたおやき、笹の葉や茗荷の葉を巻いてゆがいたおやき、ゆがいてしその葉を巻いたおやきなど、各家庭で味も作り方もさまざまです。

おやきは素朴な食べ物です。野菜や山菜を油で炒め味噌や醤油で味付けし、小麦粉を練ったもので包んでこんがりと焼き、家族は囲炉裏を囲み夕食のひとときを過ごしていました。近代になって多くは蒸すようになりました。粉食の歴史は古いものです。小川村の縄文時代の遺跡からは、雑穀の粉を練って焼いた跡が発見され、一説にはこれがおやきのルーツだと言われています。このことから「縄文おやき」と名付けました。
おやきの元祖はこうした古い時代の知恵から生まれたものであり信州の西山食文化の一大傑作なのです。


おやきは信州でも水田が少ない山間の畑作地帯のかつては日常食でした。耳たぶくらいにやわらかく練った小麦粉に味噌や醤油で味付けした季節の野菜をたっぷり包み込み、焼いたり蒸したりした信州北部特有の郷土食です。1つのおやきに生野菜がどんぶり山盛り一杯つまった健康食品です。おやきには蒸したおやき、灰の中で蒸し焼きにしたおやき、笹の葉や茗荷の葉を巻いてゆがいたおやき、ゆがいてしその葉を巻いたおやきなど、各家庭で味も作り方もさまざまです。

おやきは素朴な食べ物です。野菜や山菜を油で炒め味噌や醤油で味付けし、小麦粉を練ったもので包んでこんがりと焼き、家族は囲炉裏を囲み夕食のひとときを過ごしていました。近代になって多くは蒸すようになりました。粉食の歴史は古いものです。小川村の縄文時代の遺跡からは、雑穀の粉を練って焼いた跡が発見され、一説にはこれがおやきのルーツだと言われています。このことから「縄文おやき」と名付けました。
おやきの元祖はこうした古い時代の知恵から生まれたものであり信州の西山食文化の一大傑作なのです。



< 



























